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神楽坂 大川や

一軒 東京・神楽坂 2026-10-24 神楽坂 大川や

神楽坂 大川やの蕎麦

この店は何か

神楽坂での営業を、2026年の大みそかで終える店である。

店内に、店主の大川英児の手で書かれた告知が置かれている。神楽坂大川やは、2026年12月31日をもって営業を終え、長野県の信濃追分(しなのおいわけ)へ移る。新しい店は、2027年6月の開店を目指して準備を進めるという。

大川は、蕎麦屋の家の生まれではない。プログラマーとして勤めたあと、山梨の「翁」を訪ねたことがきっかけで、蕎麦職人を志した。腕を磨いたのは、新橋の本陣房である。九段に店を開き、のちに神楽坂へ移った。九段の店は、弟子に任せている。大川やで修業した職人の中には、目白の蕎麦おさめの納剣児もいる。

本陣房で受け取ったものを、自分の店で形にし、次の人に渡してきた店が、神楽坂の路地を離れていく。

この店にしかないもの

一枚のせいろ

神楽坂の石畳の通りから一本入った路地に、白い暖簾と木の格子戸の店がある。暖簾には「手打そば」。昼は1階だけで、9席ほどの小さな店である。

訪れた日の蕎麦は一種類、二八のせいろだった。細く打たれ、色は黒みがかっている。品書きの冷たいそばは、せいろ、つけとろ、鴨せいろ、海老天せいろ、穴子天せいろ、そしておかわりせいろ。温かいそばは、かけそば、鰊そば、海老天そば、穴子天そば。どれも、その一種類の蕎麦で出す。

以前は、十割のせいろともう一種類を並べて食べ比べる「二種せいろ」があったとされる(★紹介記事・訪問記による)。今の品書きに、その名前はない。

蕎麦は、縁を撚った丸い竹のざるにのって出てくる。薬味は山葵だけで、ねぎは付かない。蕎麦湯は、角型の朱塗りの湯桶で出る。

鰊と、海老と穴子の天ぷら

品書きには、鰊が二品ある。温かい鰊そばと、一品の鰊旨煮である。

天ぷらは、海老と穴子。せいろにも、温かいそばにも、一品にも、海老と穴子が並ぶ。穴子天せいろの天ぷらには、穴子のほかに、ししとう、茄子、蓮根が付き、天つゆと塩の両方と、大根おろしが添えられていた。

一品は、芯取菜(しんとりな)のおひたし、鳥わさ、桜海老の卯の花煮、いんげんの黒胡麻和えなど。酒は、瓶ビールと、御酒(白鷹)、冷酒(辛口・旨口)。品書きは、筆で手書きされている。

どこから来たか

煎餅屋の家から

大川英児は東京の生まれで、以前はプログラマーとして勤めていた。実家は草加の煎餅屋で、いつか何か商いをしたいと思っていたという。祖父の故郷、徳島で食べた手打ちうどんの美味しさに心を打たれたことも、食の道へ進むきっかけになった(★経歴は紹介記事による)。

きっかけは、翁の駐車場

飲食の道を志していたころ、大川は山梨の「翁」を訪ねた。駐車場は、県外から来た車でいっぱいだった。それを見て、まだ食べる前から、蕎麦にしようと決めたという(本人の話による)。

翁は、高橋邦弘が一茶庵の片倉康雄の教室から始めた店である。大川は、翁で修業したわけではない。

本陣房で6年

腕を磨いたのは、新橋の手打ち蕎麦屋「本陣房」である。二つほどの蕎麦屋で見習いをしたあと、24歳で本陣房に入り、6年間修業して独立した。

本陣房は、昭和50年代に新橋で生まれた店で、一茶庵の流れをくむとされる(★通説。一茶庵の公式の系譜の図には、本陣房の名前は載っていない)。細打ちのせいろを看板にし、自家製粉の手打ち蕎麦を出す。蕎麦屋で刺身などの生ものを出すようになった先駆けの店とも言われ、割烹並みの蕎麦前でも知られる。本陣房で修業した職人が独立して、本陣房を名乗る店を含む十数店のグループになったという。

大川やの蕎麦前の豊かさは、この本陣房の6年とつながっているのだろう(★推論)。

九段から、神楽坂へ

2001年、市ヶ谷(九段)に「手打ちそば 大川や」を開いた。2016年、神楽坂に二号店を開き、大川自身は神楽坂に移った。九段の店は、信頼の厚い弟子に任せている。

信濃追分へ

店内の告知によれば、神楽坂大川やは2026年12月31日をもって営業を終え、長野県の信濃追分へ移る。新しい店は2027年6月の開店を目指し、準備の様子は店のインスタグラムで知らせるという。告知は、信州に来たときには立ち寄ってほしい、と結ばれている。

訪れた日、カウンターでは、蕎麦前で冷酒を楽しむ常連の客が、移転先の長野のことを店主と話していた。

近い図鑑

片倉康雄(一茶庵)
├─ 本陣房(新橋。一茶庵の流れとされる)
│     └─ 修業 ── 大川英児 … 九段 大川や(2001年)→ 神楽坂 大川や(2016年〜2026年)→ 信濃追分(2027年6月開店を目指す)
│                    ├─ 九段の店を弟子に任せる
│                    └─ 弟子:納剣児 … 蕎麦おさめ(竹やぶ3年 → 大川や2年 → 東白庵かりべ5年)
└─ 高橋邦弘 … 翁・達磨
      ┆ きっかけ(大川が蕎麦職人を志した店)

大川やの根は、修業した本陣房を通して、一茶庵にあるとされる。翁・達磨と同じ根である。そして、蕎麦職人を志したきっかけも、一茶庵から出た翁を訪ねたことだった。

大川やは、一茶庵の木から伸びた本陣房という枝の先にある(図鑑「翁・達磨」を参照)。

食べた記録

土曜日の11時15分に到着。 お待ちは3組。最初に2組が通されます。 少しずつ案内していくようです。 そのあともう1組が通されて、 最初の1組が帰った後にカウンターに案内して頂きました。 11時50分に着席。 先にカウンターで蕎麦前で冷酒を愉しんでいるお客は常連さんのようで、 移転先の長野のことなどを店主と話していました。

鳥わさと穴子天せいろを注文。 鳥わさが素早く到着。仕事が早いです。 新鮮な鳥で美味しい。 醤油をつけて、海苔と一緒に、山葵をつけたりと楽しめます。 スティングのフィールズ・オブ・ゴールドが流れる店内で鳥わさを食べて蕎麦を待つ。 勝ちが確定。

次に天ぷら到着。穴子だけでなく、ししとう・茄子・蓮根もついてます。 お塩と天つゆ。最初はお塩で。天ぷらは軽やかな衣でサクフワ。 お塩は蕎麦で使いたいのでとっておきます。 天つゆの味ちょうど良い。これは評判がいいのがわかります。 鴨せいろと両看板のようですが、今日はこれで正解。 おろしは辛味がなく、つゆに合う。

天ぷらを堪能しているところでせいろが到着。 二八で細い蕎麦。色は田舎蕎麦のような色の濃さ。 まずは蕎麦だけで。喉越しの良さと十割のような蕎麦感が共存していて個人的にかなり好みの蕎麦。 次は塩で。 次はつゆにつける。猪口を近づけると節の香りがはっきりと感じられる。 辛口で醤油が前に出ている印象のこれまたかなり好みのつゆ。 次は山葵を乗せてつゆに潜らす。美味しい。 蕎麦の量は少なめです。 江戸前の蕎麦の風格を感じます。 細い蕎麦を辛めのつゆに半分くらいつけて手繰る軽やかな繰り返しは最上の時間。 蕎麦はお腹を一杯にするのではなく、蕎麦を食べた満足感で一杯にする。そう感じられる蕎麦。

蕎麦湯も濃厚さが丁度良い。 好みのつゆを好みの濃度の蕎麦湯で割るので当然至福。 蕎麦湯はたっぷり入っているので最後まで楽しめる。

長野にはすぐには行けないから、東京で食べることが出来て本当によかった。 ご馳走様でした。

出典・確認状況

参考にした資料

  • 神楽坂 大川や 店内の告知(店主 大川英児、訪問時に撮影)
  • 神楽坂 大川や 店内のお品書き「本日御用意できますもの」(訪問時に撮影)
  • IKKO'S FILMS(YouTube)「『出汁が美しい!』つまみ全メニュー・せいろ・鴨そば・鰊そば!全日本人に薦めたい蕎麦屋がある。【神楽坂 大川や】【そば⑯】」 https://www.youtube.com/watch?v=ecM8jtiKOJk
  • ダイヤモンド・オンライン「市ヶ谷『大川や』――“蕎麦の女神”がくれた『上客』と人を酔わせる華麗な『蕎麦料理』」
  • 本陣房 公式サイト
  • アニーお祝い体験マガジン「新橋でそばならここ!」(本陣房の紹介)
  • Retty・食べログ「本陣房」の口コミ
  • おとなの週末Web「手打ちそば 神楽坂 大川や|艶やかに光る見た目も美しい端正な極細打ち」
  • 蕎麦学「神楽坂の路地裏に佇む一軒家で蕎麦前から上質な料理そして手打ちそばを楽しむ 大川や≪神楽坂≫」
  • 食べログ「神楽坂 大川や」の店舗情報と口コミ
  • ヒトサラ「蕎麦おさめ 料理人 納剣児 氏」
  • 一茶庵 公式サイト「一茶庵・系譜」

確度

事項 確度
神楽坂大川やが2026年12月31日で営業を終え、長野県の信濃追分へ移転する 確定(店内の告知)
新しい店は2027年6月の開店を目指す。準備の様子は店のインスタグラムで知らせる 確定(店内の告知)
訪問時の蕎麦は一種類、二八のせいろ。細打ちで、色は黒みがかっている 実訪(2026年10月24日)
品書きの品(冷たいそば・温かいそば・一品・酒) 確定(店内のお品書き)
以前は二種せいろ(十割ともう一種)を出していた 通説(紹介記事・訪問記)
薬味は山葵だけ 実見(訪問時の写真)
穴子天せいろの天ぷらに、穴子・ししとう・茄子・蓮根。天つゆと塩の両方、大根おろしが添えられる 実訪(同上)
蕎麦湯は角型の朱塗りの湯桶 実見(訪問時の写真)
昼は1階のみ9席ほど 通説(口コミ・訪問記)
大川英児が東京生まれ、元プログラマー、実家が草加の煎餅屋、祖父の故郷・徳島の手打ちうどんがきっかけの一つ 通説(紹介記事)
本陣房の前に二つほどの蕎麦屋で見習いをした 通説(ダイヤモンド・オンライン)
山梨の翁を訪ね、県外の車でいっぱいの駐車場を見て、食べる前から蕎麦にしようと決めた 確定(本人の話。IKKO'S FILMS「『出汁が美しい!』つまみ全メニュー・せいろ・鴨そば・鰊そば!全日本人に薦めたい蕎麦屋がある。【神楽坂 大川や】【そば⑯】」)
本陣房で24歳から6年修業して独立 通説(紹介記事)
本陣房が一茶庵の流れをくむ ★通説(口コミ・紹介記事)。一茶庵の公式の系譜の図には載っていない
本陣房が細打ちのせいろを看板にし、自家製粉の手打ち 確定(本陣房 公式サイト)
本陣房で修業した職人が独立し、十数店のグループになった 通説(紹介記事)
2001年に市ヶ谷(九段)で開業、2016年に神楽坂に二号店、九段は弟子に任せる 確定(紹介記事・訪問記)
納剣児が竹やぶ3年・大川や2年・東白庵かりべ5年で修業 確定(ヒトサラ)
大川やの蕎麦前の豊かさが本陣房とつながる ★推論
大川やでの実食 2026年10月24日

この店

  • 神楽坂 大川や新宿区 移転予定 2026年12月31日で神楽坂の営業を終え、信濃追分へ移る
  • 手打そば 大川や千代田区 2001年に九段で開いた最初の店。いまは弟子に任せている

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